数日後。 藤井あずさは端末の操作をしつつ室長の様子を伺っていた。朝から機嫌が悪いのだ。 室長こと田上哲也(たのうえてつや)は五十二歳。少し早とちりの癖はあるが、海千山千の室員たちを良くまとめていると藤井は思っていた。 元々、田上室長は公安警察の人間で、ノンキャリアながらも出世してきた人間だった。何よりも警備警察や自衛隊制服組などとの人脈も多く上層部しか知らない噂などにも精通していた。「狙撃犯の情報は入って来ていないのか?」 室長が藤井に聞いて来た。「近所にある空き家内から狙撃されたらしいと言ってました」 監視していた先島たちの証言と写真画像などから狙撃地点は簡単に割り出せた。「物証や硝煙反応などは出ていないですが弾道計算ではここで在ろうと……」 藤井が表示させた画面には自動車解体工場付近の地図が表示されている。焼失したガソリンスタンドと空き家と見られる家屋が赤い線で結ばれていた。「距離は三百メートル。 移動しているトラックの人物にヒットさせてますから中々の腕前ですね」 標的が静止している射撃競技と違って、動いている標的を当てるのは至難の業だ。少々訓練を受けた程度は無理だ。「訓練を受けているプロの仕業か……」 室長は退職した警察や自衛隊の狙撃手なのだろうかと考えていた。「そうどうでしょうか? 自分としてはチョウを狙って外してしまったとも受け取れますが……」 先島は一緒に同乗していたチョウの表情を思い出していた。普段、動じないチョウが驚愕の表情を浮かべていたからだ。「トラックに積まれた荷物の隠滅をやりたかった可能性もあります」 トラックの荷物は硝酸アンモニウムだった。しかし、チョウが扱う荷物してはショボイなと先島は考えた。「ガソリンスタンドに突っ込ませたかったとか?」 爆発を目の当たりにした青木が言い出した。「うーん、あの車の運転手はごく普通の人だったけど……」 藤井は運転手への取り調べ調書を表示させた。犯歴無しの普通の会社員だった。ガソリンスタンドの経営者にも従業員にも不審な点は無かった。「付近の防犯カメラはダメなのか?」 室長が画面を見ながら言って来た。「田舎なので望みが薄いですね……」 藤井は拡大した地図を表示させた。自動車工場付近には田畑が多く、防犯カメラの設置が期待できる建物が少なかったのだ。「狙撃犯を知
「お前さんがまた勘違いしてるみたいだからな」 チョウはせせら笑いを浮かべながら言った「また?」 先島は怪訝な表情を浮かべて訊ねた。「ああ、トラックの事故だよ」 くっくっくと引きつったような笑い声を出すチョウ。「あの狙撃は俺が狙われたと思っただろう?」「ああ……」「あの狙撃は俺ではなく、トラックの運転手を狙ったのさ……」 チョウは意外な事を言いだした。「そう言えば南米系の運転手だったな……」 先島は狙撃場面を思い出しながら言った。顎髭と濃い眉毛の運転手だった。「アイツは南米系組織の人間だったのさ。 ここの所はアイツと組んで仕事してたからな」 恐らくはチョウの武器先のひとつだろうと踏んでいた。 南米は米ロ中からの武器が豊富に流れ込んで来ているからだ。米国は麻薬撲滅のために武器を流し、中露は覇権を握る為に武器を流す。 犯罪組織は武器を手に入れる為に、それらの国に麻薬を流しているのだ。 よく因果関係が分からない国々だった。「そん時分にだが結果的に取引に失敗した事があるのさ。 まあ、俺がドジを踏んだんだよ」 チョウが薄ら笑いを浮かべがら喋った。「俺の始末を付ける為に、ある人物に依頼が行われた噂を仲間から聞いたのさ」 チョウは周りを見渡した。運転手が狙撃された瞬間にチョウが驚愕してた理由が分かった気がした。 噂では無く本当だと確信したからであろう。「なんで日本に来たんだ?」 そんなチョウに先島が質問した。敵から逃げて潜伏するのなら、銃器の入手が容易な国の方が有利だと思えるからだ。「アジア人が潜伏するのには具合が良い国なんだよ。 日本は……」 確かに共和国の仲間もいるし、チョウ自身の知り合いも居そうな感じだ。流ちょうな日本語を喋る事が出来るチョウにはうってつけだった。日本人は外国人に妙に親切だからだ。「ある人物っていうのは誰なんだ?」 先島が聞いた。恐らく狙撃犯の事だろうと思ったからだ。「ああ、お前さんはクーカと言う殺し屋を聞いた事はあるか?」 チョウが聞いて来た。先島は首を横に振った。まず、殺し屋と言う職種がなじめないのだ。時代錯誤も甚だしい。「そうか、なら忘れる事が出来無くなるのは保証するよ」 チョウは再び意地悪そうな笑みを浮かべる。先島が困るのが楽しくてしょうがないようだ。「世界中の国の治安機関が血眼で追い回
(狙撃されたという事は俺の事も見られているよな……) 先島は背中がざわざわするのを感じていた。狙撃手はこちらを見ているのだ。(暗殺者と言うのは目撃者を消すのが鉄則だと普通は思うんだが……) しかし、今のところ撃たれてはいない。手慣れた狙撃手なら一秒も掛からずに次弾を装填できる。先島が撃たれない意味が分からなかった。(それなら俺も狙撃されているはずだ……) 先島はゆっくりと弾が飛んで来た方向に顔を向けた。射撃音が無いという事は、遠距離か消音器をライフルに付けているかだ。先島は後者の方だと考えた。 見た先に有るのは雑居ビル。その屋上付近を動く影が一瞬見えた気がした。(クーカとか言う殺し屋は余計な仕事をしない主義なのか……) 目撃出来たのは蒼い影だけだった。それがチョウの言う所のクーカである確信は無い。 先島は立ち上がってチョウの傍まで行った。「ふんっ! チョウはこれを見せつける為に携帯電話を使っていたのか……」 先島は笑ったまま死んでいるリョウを見下ろしながら毒づいた。長年追いかけて来た相手が死んでしまったのだ。「……」 チョウはクーカに狙われるのを承知で出て来た。逃げきれないと思ったのか、或は先島にクーカを追わせようと考えたのかのどちらかであろう。 単純な密輸事件だと思っていたが問題は深そうだと先島は考えた。 都内の某所。 ひとりの少女が歩いていた。黒い外套に身を包んだ彼女は、一見すると学生の塾帰りのようにも見える。 その小さな女の子は、倒産した無人の工場で妙な連中に絡まれたいたクーカだった。 あの時は『特殊な仕事』を実行する為、現場を下見をしに来ていたのだ。 主な目的は射線の確認と逃走経路の確認。 いくら超絶的な戦闘能力が有っても無限に闘える訳ではない。身体が小さめなので体力が続かないのだ。(メンドイ事したくないし……) 回避できるのであればそれに越した事は無い。自分の身の安全を最優先するのを命題としているクーカには当然の事だ。 今回はトラックに同乗していた人物を始末せよとの仕事内容なのでここに来ている。対象は自分にも馴染み深い男だった。「……」 クーカがふと立ち止まった。そして、おもむろに後ろを振り返った。「……」 そこには誰も居なかった。郊外の住宅地にありがちな無機質な道路があるだけだ。 しかし、彼女には
「本当ですよっ! 一瞬で消えちまったんですよっ!」 男は携帯電話を片手に、辺りを見回しながら誰かに話しかけていた。 普通の女の子なら変質者やストーカーを疑う所だが彼女は違っていた。(心配性の依頼主なのね……) 男はクーカに仕事を依頼して来た組織の下っ端なのだろう。自分の仕事を見張っていたに違いないとクーカは考えていた。 追跡者が見当違いな方向に走り出した。それを見届けてからクーカは屋上から道路に降りた。まるで、散歩の続きをするかのように舞い降りたのだ。 クーカには普通の人間とは違う所がある。 筋肉と骨格を薬物で強化されている上、幼い頃から軍人たちによって訓練を施されていた。彼女は作られた強化兵士だ。 元々は米国軍の強化兵士作成プログラムだった。しかし、成人男性相手では研究成果が巧く現れなかった。そこで研究機関は子供用にアレンジしたものを使用してみたらしい。 既に骨格や精神面が完成されている大人と違って、成長期の子供の場合には強化薬物の効果は抜群だった。 薬品により常人の数倍の速度を出せる筋肉とそれを支える頑丈な骨格が作られた。彼女は五メートル程度の高さなら飛び上がれる。そして、瞬発力が優れてるので、目の動体視力とも相まって銃弾を躱せるように肉体が改造されているのだ。 それは試験体と呼称されていた他の子供たちも同様であった。子供たちは貧民街などから親の居ない孤児を集められていた。まともな手段では人権団体などから激しい突き上げをくらうからだ。 子供を試験体などと呼ぶ事で分かる通り、研究機関は試験体には一切の感情を持つ事を許さなかった。感情は任務の遂行にジャマなだけだからだ。彼等の興味は実験結果であり、試験体の健やかな成長では無いのだ。 日中は体技の訓練。夜は爆発物や薬品などの座学の訓練。それを休む事無く続けさせられていた。 物心付いた頃から毎日させられていたので、試験体たちは自分たちの処遇について疑問に思う者はいなかった。 もちろん、訓練から落後していく者もいたが、いつの間にか見かける事が無くなっていた。消去。それだけだ。 その何十人も居る試験体の中でもクーカは優秀な成績を収めていた。やがて、クーカはコードネーム『QUCA』を与えられ任務を任されるようになったのだ。 十四歳になった時。彼女は麻薬密売組織殲滅の任務を受けて中南米のエバジ
エバジュラム国に派遣されたクーカは、今回の麻薬密売組織が自分の両親を殺した仇だと知る。 しかし、殲滅作戦は内通者の裏切りで、クーカの所属していた実働部隊は壊滅状態になってしまった。 だが、クーカはたった独りで麻薬密売組織を壊滅させ、ついでにCIAの監視チームも壊滅させた。 監視チームの一部に内通者が居たのだ。 しかし、それを証明する証拠も手段も無く、唯一の生存者だった指揮官は植物状態になっている。 身に危険を感じたクーカは脱走する事になった。 彼女は脱走兵として米軍とCIAに追われるようになる。 しかし、彼女はそんな事は気にしていなかった。彼等の精鋭と言われる部隊は自分よりも明らかに劣っているからだ。 彼女は身に振り掛かる火の粉は徹底的に払う事にしている。同情や施しは自分の為にならないと知っているからだ。 追跡者を躱したクーカは大きめの橋に差し掛かっていた。車がひっきりなしに行きかっている交通量の多い橋だ。 そこをトコトコという感じで歩いている。「今、動画を送ったわ」 彼女は携帯電話を耳に充てながら誰かと会話していた。 肩にはエレクトリック・ギターの四角いケースを担ぎ、背中には亀の姿をしたリュックを背負っている。 その姿は普通の女子高生のようだ。 しかし、ギターケースの中身は遠距離狙撃用のロシア製ドラグノフ・ライフルだ。亀リュックの中身は夜間暗視用ゴーグルとライフル用照準器。中々に物騒な女子高生である。 そして、黒い外套の下には大型のククリナイフとグロックを携えていた。まるで移動する軍隊のようだ。 だが、見た目が可愛らしい少女なので職質を受ける事などは皆無だ。人には人畜無害と映るらしい。『ああ、見たよ…… チョウは一人じゃ無かったな……』 電話の相手はぶっきらぼうに答えた。 クーカは依頼を受けた時に一度だけ面会している。やたらと横柄な態度を取るヤクザだった。「そうね、男と一緒だったわ」 クーカは淡々と答えながら歩いてた。クーカを見て本当に大丈夫なのかと、何度もコーディネーターに質問していたのを思い出した。『なら、その目撃者も始末しろよ』 電話の相手はなにやら怒っているようだ。「契約に目撃者を消せとは無かったわ」 クーカはそんな事には気が付かないのか事務的に話していく。『証人を消すのは殺し屋のルールだろう?』
クーカが依頼主に逢うのが嫌なのは、彼女の見た目でトラブルを招く事が多いからだった。「貴方に指図される筋合いは無いわ」 クーカは相手の恫喝を意にも介してない。 元々、今回のチョウもトラックの狙撃の時に一緒に依頼すれば良かったのだ。 運転中に狙撃しろなどと注文着けて来たので妙だなと思っていた。だが、あの爆発を見て合点がいった。チョウも巻き込まれて死ぬと考えていたのだ。 仕事の金をケチりたかったのであろう。 しかし、意図に反してチョウが生き残っているのが判明したので再度依頼されてきたのだ。『あんたには高い金を払っているんだ。 サービスぐらいしろよ』 電話の相手は泣き落としに出てきたようだ。(自分のせいじゃない……) 自分のセコイ金勘定からの余計な出費だったのに随分と図々しいなと考えていた。「予定外の仕事はやらない事にしているの」 クーカはチョウと一緒に居た相手を思い出していた。目の前で人が狙撃されたにも関わらず、素早い動きで自分の身の安全を測っていた。兵隊か警察か。いずれにしろ数々の修羅場を潜り抜けた相手に違いない。「それに今回の仕事はヨハンセンの紹介だから引き受けただけよ」 ヨハンセンとはクーカの仕事仲間だ。移動を助けてもらったり、仕事の仲介などもしてくれている。「それにトラックのターゲットが顔見知りで、ちょうど探してたのもあるわ」 彼女が誰かしら探す目的は、相手を抹殺することを意味していた。「それに…… 私がここに居るのは仕事が目的では無いわ」 クーカは立ち止まって川面を眺めた。川を渡っていく風が気分を落ち着かせてくれるような気がしたからだ。『俺に逆らったらどうなるか分かっているのか?』 ところが、相手は恫喝をやりだしてしまった。話し相手がヤクザだと忘れているのかもしれないと思い始めているようだ。「……」 クーカは黙ったままだ。『ああ?』 電話が壊れるのかと思う程の怒鳴り声だ。 クーカはそろそろ面倒になって来ていた。それよりチョウと一緒に居た男の情報を探る必要を感じていたのだ。(アイツはきっと面倒な奴だ……) クーカの感が囁いている。裏の社会で生きて行くのに必要な能力だ。「どうすると言うの?」 クーカがぶっきらぼうに聞いている。しかし、その目が冷たく光り始めていた。『お前もぶっ殺してやると言ってるんだよっ
深夜の繁華街。 ビルの地下に有るワンショットバーに先島は来ていた。 昔、先島が公安時代に懇意にしていた情報屋がマスターをしている店だ。マスターはかつてCIAの情報分析官をしていた。その時代のコネもあって、今でも表裏の様々な情報が入って来るらしい。 捜査に行き詰まるとここに来てヒントを貰う事がある。 先島が店に入るとマスターがグラスを磨いていた。バーなどで良く見られる光景だ。 店内には客が少なかった。平日のせいでもあるが、ビルの奥まった所に有る店に分かりづらい。「今日も静かだね……」 そして、先島は一人になれる所が気に入っている。「ええ、今は外で飲む人が少なくなってますし、会社の経費で飲む機会も無いですからね」 今時の若い人はお酒を飲む習慣が無くなりつつ有るらしい。大学や会社の仲間同士でコミュニケーションを作るのに、酒は必要が無くなっているのかもしれない。 バーなどの飲食店でも、非喫煙者用に禁煙スペースを設けても需要が復活しないのだそうだ。時代の流れであろう。「まあ、喧しいのは苦手だから構わないですけど……」 そう言ってマスターは苦笑いしていた。CIAを引退してからは悠々自適の生活を楽しんでいるようだ。「それはこっちも同じだよ」 先島も愛想笑いを浮かべながら相槌を打った。「で、今日は何を聞きたいんだい?」 普段、無愛想な男が愛想笑いをする時は、頼み事がある時だと知っているマスターは先に質問をしてきた。「御代わりを下さい……」「ところでマスター。 クーカって名前の殺し屋を聞いた事があるか?」 先島はバーボンの御代わりを頼むついでに聞いてみた。「ええ? 今の時代に殺し屋?」 マスターは鼻で笑っていた。久しく聞いていない職業だからだ。今は暴対法の取り締まりが厳しくなっている。殺し屋が逮捕されると連座して同程度の量刑を喰らうので、暴力団は使いたがらなくなっているのだ。「ああ、チョウを知っているだろう?」 先島はそんな事は気にせずに質問を続けた。「あんたの目の前で弾かれたんだってね……」 流石は情報屋である。警察で発表していない情報まで知っている。「チョウが弾かれる寸前に、クーカに狙われていると俺に言ったんだ」 チョウは狙われていると言ってた割に怯えていなかったのを思い出した。「そうか、ならクーカの名前を聞いて逃げるの
「そう。 更に悪い事は重なるもんでね……」 マスターが更に話を続ける。「C国から輸出する時に臓器が足りないって言うんで、その辺をうろついてる浮浪児をかっさらって輸出したんだ」 C国では母親が押す乳母車から赤ん坊が攫われる事が有る。それくらいに児童の誘拐事件も多く、C国の警察も対応が追い付かないと新聞に書いて有ったのを思い出した。「つまり……」 輸出と言っても人間を生身のままで連れまわすのは効率が悪い。彼等は解剖されてバラバラにされたのは明白だった。「そういう事だ」 マスターはきっぱりと言った。 先島は見た事も逢った事も無い浮浪児たちの運命を思うと悪酔いしそうだった。「ところが、その中にC国の黒社会幹部の孫娘が交じっていたんだ」 マスターがため息を付いた。「それでチョウは始末される事になったんだな……」 どうやって孫娘が『輸出』されたと知ったのかは分からない。だが、北安共和国はC国に頭が上がらないのは有名だ。チョウの家族が労働矯正所送りになった原因はこれであろうと先島は思った。「ああ、ところがお前さんも知っての通りチョウの逃げ足はピカイチだ」 もちろん逃げ足の速さは知っている。どうやってかは分からないが、東京で目撃された翌日には上海にいたりもする。人物を安全に移動させる秘密のルートがどこかに在るらしい。「それで殺しの依頼がクーカにいったのか……」 ようやくチョウとクーカの関係が見え始めた。 何故、マスターがチョウの事に詳しいのかは謎だ。恐らくは米国の諜報機関もクーカの事を探っているに違いないからだ。その関係で情報が流れて来ていると推測していた。 だが、敢えて追及しなかった。マスターを追い込むのは得策ではないと思っているのだ。 相手は辞めたとは米国の諜報機関。自分は日本のなんちゃって諜報機関。目標とする所が大分違っているからだ。 今の憑かず離れずの関係がお互いにとって良いのだ。「クーカはヨーロッパの方ではしゃいでるってのは聞いた事があるね」 マスターがはしゃいでいるという時には活躍していると言っている時だ。しかも、相手が気に入ってる時に使う。「ヨーロッパ?」 C国関連の人間だと思っていた先島は面食らってしまった。「ああ、優秀な猟犬で確実に目標を仕留める狩人として評判になってるよ」 マスターが人を褒めるのは珍しいなと思
地下一階。 全員が銃を構えたままエレベーターを見つめている。不意に開いた扉から何かが室内に放り込まれてきた。「手榴弾っ!」 誰かが叫んだが投げ込まれた物は、床に落ちる音と同時に炸裂した。強烈な音と閃光がホール内に充満した。「くそっ! スタングレネードかっ!」 警備隊長が自分の目を手で覆い隠しながら唸るように喋った。「撃てっ!」 だが、その掛け声よりも早く、ホール内に侵入を果たした者がいた。全員が目を離したので気が付くのが遅れたようだ。「ぐあっ!」 クーカは飛び込んで最初の男の首にナイフを突き立てた。そのままの体勢で隣に居た男の首を跳ね、返す刀で三人目の腹を切り裂いた。ナイフを使ったのは自分の存在を悟られるのを遅らせる為だ。(手前の右側に三人。 左側に二人。 左奥に二人。 右側奥に三人。 大関は一番奥の台座……) 彼女は右側の三人を始末している隙に、地下に居る人員の配置を見ていた。 男たちはいきなりの目くらましに気が動転しているのか銃を入り口に向けたままだ。次のターゲットはこの二人。その前に左奥の二人の内モニターを監視していた男にはナイフを投げ込んでやった。ナイフは男の首に刺さったが、傍に居たもう一人は咄嗟にしゃがみ込まれてしまった。牽制はとりあえずは成功だ。 クーカは腰から銃を取り出し、左手前の二人に銃弾を送り込んでいく。二人は横合いから来る銃弾に反応できずに、何が何だか分からない内に絶命してしまった。 ここまで掛かった時間は一分も無い。しかし、尚も台座に向かって突進していくクーカ。「くそっ! 小娘がっ!」 モニターの所に居た男が立ち上がって拳銃を撃って来た。しかし、クーカには当たらない。銃弾を右に左に避けながらクーカは男に迫っていく。「何故、当たらないんだっ!」 男は尚も引き金を引き続ける。しかし、銃弾はクーカの身体を捉える事無く床に後を残すだけだった。弾道が見えるクーカには無意味な行為だ。「悪鬼め……」 男の懐に飛び込んだクーカは右手のククリナイフで男の腕を薙ぎ払らった。それから、左手の銃で男の顎下から撃ち抜いた。 男は仁王立ちの状態からゆっくりと倒れていった。クーカはそのまま男の影から右奥の男たちを銃で撃ち倒した。 右奥に居た男たちはアサルトライフルを構えていたが、クーカが倒した男が邪魔で撃てなかったらしい。その
工場の入り口。 ここに来るまでに妨害行為は皆無だった。工場内に兵力を集中させたと見るべきだろう。 工場の入り口には監視カメラが有った。クーカはカメラに向かって携帯電話をかざして何やら操作した。(よし…… これで時間が稼げるっと……) 彼女は強力な赤外線を放射させて、監視カメラのCCD部品を飽和させたのだ。 こうすると自動回復するまで暫くは時間が稼げる。外国の強盗団が良く使う手口だ。 普段なら銃の形をしたアイテムを使っている。だが、今回は日本に持ち込む暇が無かった。(確か…… この辺よね……) 彼女はエレベーターホールに辿り着いた。そして、ホールの隣に有る掃除用具などがある備品室に入り込んだ。 クーカは保安室で見せて貰ったビルの設計図を覚えていた。 五階にあると言う秘密エレベーターの入り口に行く気は無かった。敵が待ち構えているのは分かり切っているからだ。(入るのに手間が掛かるのなら、壁に穴を開けてしまへば良いのよ……) 彼女はショートカットするつもりなのだ。別に友好的な訪問をしに来た訳では無い。真面目に敵の希望通りに動く必要も無いだろう。 背中に背負ったウサギのナップザックを降ろして中から四角い粘土のような物を取り出した。(加減が難しいのよね……) 壁に粘土のような物を張り付けていく。映画やドラマでお馴染みのC4爆薬だ。自在に形を変えられるので、こういう作業には向いている爆弾だ。(ん?) 爆薬を壁に張り付けていると、エレベーターの動作音が聞こえて来た。(誰か降りて来る……) いきなり監視カメラが使えなくなったので様子を見に来たのであろう。「……」 仕掛け終わったクーカは爆弾を爆発させた。爆弾の爆風は動作していたエレベーターの安全装置を作動させ停止させてしまった。(これで何人かは閉じ込める事が出来たっと……) 懐から降下用器具を取り出し、エレベーターのワイヤーに固定した。これを使って一気に降りるのだ。爆破音が響いた以上は、敵に何が起きたのかは伝わってしまったはずだ。 固定を確認するとクーカは中空に身を躍らせた。降下器具はゆっくりとだが彼女を静かに地下へと降ろしていく。(地下には何人いるのかしら……) 降下しながらクーカは考えた。もっとも敵の数は彼女にとっては問題では無い。掛かってしまう時間の方が問題だった。だから、
道半ばまで来た時に不意にクーカが立ち止まった。工場入り口までは一本道だ。迷うような場所では無い筈の場所だ。「右に三人…… 左に二人…… 化学工場に狙撃者が一人いるわ……」 クーカがそう呟いた。「……」 目を凝らしたが先島には見えなかった。 不意にクーカが空中に何かを放り投げる。次の瞬間。辺りは閃光に満たされた。 彼女が使ったのはスタン・グレネードにも使われる、アルミニウムと過塩素酸カリウムで練り込んだお手製の閃光手榴弾だ。きっとヨハンセンが作成してくれたものであろう。 襲撃されるのが分かっているのに暗くしている理由は暗視スコープを使用しているからだ。クーカは相手の視覚を奪って有利に事を運ぼうとしていた。(いやいや…… 先に言ってよ……) 先島が閃光に戸惑って立ち止まっていると、通用道路の右側を目指してクーカが走り出した。走ると言うよりは飛び込んでいくと言う方が合ってるのかもしれない。それと同時にククリナイフを外套から覗かせているのが分かった。「うぐっ」「そっちに行ったぞっ!」「ぎゃっ!」 声を掛ける間もなく暗闇の中から叫び声が聞こえた。銃声が聞こえない所を見ると相手が構える前に始末をつけているらしい。「仕事が早いな……」 先島も弾かれたように左側の樹の根元に銃弾を送り込んだ。ほんの一瞬だが人が居る気配がしたからだ。「ぐあっ!」 樹の根元に居た一人に命中した。目線を上に向けると樹の上にもう一人居るのに気が付いた。 上半身を起こしている。狙撃するつもりがいきなりの閃光で気が動転していたに違いない。無防備な状態で顔から暗視スコープを外そうとしているらしかった。 先島は続けざまに銃弾を送り込んでやった。樹の上の男はスローモーションのように落ちて行った。 その様子を見ていたクーカは先島に近寄ろうとした。すると。ヒュンッ クーカの耳元を何かが通り過ぎ、傍の樹木に弾痕を作った。狙撃されたのだ。(そういえば狙撃手が居たわね……) 足元を見ると倒れた男はライフルを持っていた。クーカはそれを拾い化学工場に向かって立膝で構えた。狙撃手を片付ける為だ。 大体の所に狙いを付けると引き金を引く。自分の狙撃銃では無いので撃ちながら調整する為だ。 一発目。(左に逸れている……) 二発目。(右に逸れた……) 三発目。(これでお終い……
「すごいじゃない……」 クーカが先島の射撃の腕を褒めていた。先島はニンマリと笑っていた。褒められたのが嬉しかったらしい。 だが、追っ手の車は一台では無かった。直ぐに新手が現れた。「ありゃりゃ……」 先島はガッカリしてしまった。そんなに予備弾倉を持って来て無いからだ。 元より日本の警官は銃を撃つことは無い。相手が銃器を所持している事が少ないし、銃撃戦が想定される時にはSWATチームへの出動要請を行うからだ。 先島は再度車の方向転換を行い正面を向いて車を走らせた。バックだけではすぐに追いつかれてしまうからだ。「弾倉を変えてくれっ!」 先島はクーカに銃を渡した。車の操縦に忙殺されているからだ。 銃を渡されたクーカは先島の胸のポケットから予備の弾倉を取り出して取り換えた。 そして、クーカが助手席の窓から身を乗り出して追っ手の車に銃撃を加える。 もっとも撃ったのは一発だ。しかし、彼女には一発で十分だった。追っ手の車から身を乗り出して撃っていた男は、仰け反ったかと思うとうな垂れてしまったのだ。「やっぱり、凄いな……」 その様子を見ていた先島は苦笑しながら運転を続けていた。追っ手の車は急に減速していくのが見える、次は自分の番だと思ったのであろう。(やはり自分の銃じゃないと駄目ね……) どうやら狙いを外してしまったらしい。彼女は相手の拳銃を撃ち落としたかったのだ。クーカは一発で決める事が出来なかった事を反省していた。 警備の詰め所は無人だった。車はそのまま工場の敷地内に侵入して駐車場にやってきた。工場入り口まで行きたかったのだが車止めがあったのだ。「どうやら俺たちが来る事はバレバレだったみたいだな……」 一見すると無人に見える工場を眺めながら先島が呟いた。「ええ、歓迎の準備は整っていると見るべきね」 そういうと車を降りていった。「……」 先島は少しため息をついた。もう少し大人を頼りにしても良いのにとも思っていたのだ。「貴方も行くの?」 一緒に車から降りた先島に、拳銃を返しながらクーカが尋ねた。「ああ、色々と問題はあるけど日本を守るのが俺の仕事だ……」 先島は拳銃の残弾を確認しながら答えた。「そう……」 クーカはそう言ってスタスタと先に歩き出した。日本を守る云々は興味無さそうだった。先島は少し肩を竦めて後を付いて行く。「その
都内湾岸地域。 夜中の都内湾岸地域。 海岸沿いの道をクーカは一人歩いていた。鹿目の工場に向かっているところだ。 本当はヨハンセンに送って行って貰おうとしていたのだが、生憎とクーカの脱出経路の準備に忙殺しているらしかった。 そこでクーカはテクテク歩いて向かう羽目に成ったのだ。 普通、夜中に女の子が歩いていると、厄介な連中に絡まれてしまうのを心配するものだ。だが、工場地帯の真ん中では車すら滅多に通らず心配は無用なようだ。 もっとも、何も知らずにクーカを襲うと後悔するのは犯人の方であろう。 すると、そこに一台の車が接近して来た。車はクーカを追い抜く事も無く並走するような感じで速度を緩めた。「……」 クーカが車内を見ると先島がハンドルの上で両手を広げていた。敵意は無いと言いたいのだろう。「……」 クーカは静かにため息を付いて助手席に乗り込んだ。どうせ無視してもしつこく付いて来るのは分かっていたからだ。 先島はのほほんとしてる風を装うが、事態の推移を自分の望む方に誘導しようとする。中々厄介な奴だとクーカは考えていた。「やあ、お嬢さん。 偶然だねぇ…… どちらまで?」 先島がニコヤカに聞いて来る。(笑顔が張り付いている……) そうクーカは思った。愛想笑いが苦手なのだなとも思っていた。「同じ処よ……」 クーカはシートベルトを体に付けながら答えた。(分かってる癖に……) 先島が工場の存在を海老沢から聞き出したとヨハンセンから予め電話で知らされている。つまり、クーカが先島に近づいた目的も感ずいているに違いなかった。 クーカは研究所にあると思われる両親の臓器を探したかったのだ。「ははは。 じゃあ、一つだけ…… 相手をなるべく殺さないようにね?」 先島はクーカの方を見ずに言ってきた。「…… 努力はするわ ……」 クーカが仕方なく返事をした。敵を殺さないで無力化するには結構手こずるものだ。 体力勝負になると自分自身が危なくなってしまう。 返事とは裏腹に手加減はするつもりは最初から無かった。「後処理が面倒なんだよ……」 先島が車を運転したままに続けた。車は一路工場へと向かっている。 その言い分にクーカはキョトンとしてしまった。「そっち?」 てっきり人を殺める方を咎めているのかと思っていたからだ。 クーカを車に乗せた先島は鹿
保安室近辺。 藤井あずさが帰宅しようと歩いていると一台の車が寄って来た。 車が藤井の傍に止まると車の運転席が開き、男が小走りで藤井の傍に来ると耳打ちした。 促されるように身を屈めて中を覗き込むと、後部座席には老人が一人いた。鹿目だ。 藤井はそのまま後部座席に乗り込み鹿目に報告を始めた。「先島が生物兵器の存在に気付いたようです……」「……」 鹿目は何も言わずに藤井の話を聞いていた。「海老沢から工場の構造などの情報を収集して向かいました」「……」 鹿目は黙ったまま話を続けよとでも言いたげに頷いただけだった。「クーカも同様に保安室から情報を入手して向かっています……」 藤井は座席に座ったままで老人に報告をしていた。「手の者が手厚く迎えてくれるじゃろ……」 徐に口を開いた鹿目が答えた。手の者とは大関の部下たちだ。「彼女は貴方を許さないと思いますが……」 藤井は伏し目がちに聞いてみた。 鹿目が作る生物兵器はまだ研究の途上だ。政府機関が表立ってやるわけにはいかないので、鹿目が代わりに研究してやっているのだ。それを咎められる筋合いは無いとも考えていた。 平和平和とのんきにお題目を唱えていれば、日本への脅威が無くなるわけではない。 世界大戦後に局所的紛争しか発生しないのは、核兵器による暗黙のルールがあるお陰だと鹿目は考えている。 日本が核兵器を所持する事が出来ない以上は、それに替わる兵器を所持するべきなのだと信じているのだ。 その一つが生物兵器だった。勿論、生物兵器禁止条約で禁止されている品目だ。 だが、世界各国は絵空事など気にもとめないで研究している。 そこで日本も対抗策として行うべきだと鹿目は考えていた。 生物兵器の一つが完成が近かったのだ。そして、研究の完成にはクーカの両親のDNAが必要だったのだ。 海老沢の体から取り出した臓器を、他人の物とすり替えたのも鹿目の指示だった。 クーカが臓器が偽物だと何故気がついたのかは謎だった。それは、もはやどうでも良い問題だ。 問題は研究施設の安全をどうやって守るかだ。 幸い、保管庫は自分か大関かの生体認証が必要だ。 認証の為には右目の中の虹彩と、右手中指の静脈の両方が必要だった。 しかし、人間が作ったものに万全が無いのも事実だ。 ならば、脅威であるクーカの始末をすれば解決した
ところが改良が巧く行ってないらしいとも言っていた。しかし、それは鹿目の事情で在り資金を提供している北安共和国は関知する所では無い。早急に結果を出せと迫られているらしい。「未来永劫で役立たずのデ……首領様に導いて欲しんだとさ」 海老沢が再びクックックと笑っていた。「その細胞を根本的に改良する為に、クーカの両親のDNAが使われる予定だったのさ」 ひとしきり笑ったのちに付け加えた。(それで鹿目の事を知りたがっていたのか……) クーカが鹿目に拘っていた理由が判明した。彼女はDNA情報を葬り去りたいのだと思った。「最終的には北安共和国の首領のクローンを作成するのが目的だと聞かされているがね……」 その為にクーカ一家の細胞(Q細胞)が必要であった。 それを手に入れようとしたチョウは、エバジュラム国まで出向いたがクーカの妨害により失敗した。 チョウの失敗に激怒した北安共和国諜報機関はチョウの家族を労働矯正収容所に放り込まれてしまったのだ。「その生物兵器の情報を、三文小説家にリークしようとしたんで消されたのさ」 家族の窮状を知ったチョウはクーカを逆恨みしていたのだった。「そこで百ノ古巌が出て来るのか……」 先島がポツリと漏らした。「誰だって?」 だが、名前を聞いた海老沢は首を傾げた。自称社会派ジャーナリストの小説家の名前までは知らなかったようだ。「知らないんならいいよ。 死んじまったし……」 先島が答えると海老沢は首を少しすくめた。死んだ者には興味が無いのだろう。「それで、秘密工場は何処に有るんだ?」 先島が話を促すように言った。肝心の工場の在処がまだだったからだ。 「知ってどうするんだ?」 海老沢が聞いて来た。「きっと、工場にボヤが起きて中身は全て燃えてしまうよ……」 それを聞いた海老沢はニヤリと笑った。彼もクローン工場の事は気に入らなかったようだ。 海老沢が再び話を始めた。「鹿目化学の湾岸工場に併設されている野菜工場がそれだ」 海老沢のスマートフォンに問題の工場が映し出されていた。それの隅っこの方に窓が片側にしかない建物が写り込んでいた。「もっとも、野菜工場と言っても露地などで作られるものじゃないんだ」 海老沢は問題の建物をスイープで拡大して見せた。「今、流行のLEDライトを使用した人工光の工場なのか?」 先島は
「だから大関と鹿目の関係さ。 なんで大関はクーカを使ってまで鹿目を脅したがるんだ?」 チョウを狙撃したのはクーカであろうことは分かっている積もりだ。近所の防犯カメラにクーカらしき人影が映っていた。証拠としては弱いが嫌疑をかけるのには十分だ。「……鹿目が北安共和国との約束を守らないからだ」 渋々という感じで海老沢が語り出した。 鹿目は北安共和国首領用の移植用臓器作成を請け負っていた。だが、違う臓器を渡していたようだ。「なんで鹿目がそんな危ないことやるんだ?」 鹿目は財界の大物だ。配下に一流と言われる会社を幾つも持っている。彼の企業があげる収益から見れば臓器密売などチリにもならない。「人の命運を握るのは魅力的だったんだろう…… たぶん」 確かに一度移植を受けると定期的な検査が必要になる。元の情報を握っている方が立場上有利なのは確かだ。どんなつまらない事でも人の上に立ちたがる人間は居るものだ。「そのデザインされた内臓を培養してある程度大きくなったら、提供された人間に移植して培養していたのさ」「提供された人間?」「北安共和国から提供された人間だ。 彼等は日本人の中で培養された臓器を使うのを嫌がるんだよ」「良く分からん拘りだがね……」 そう言って海老沢は笑った。「鹿野は生体培養を担当して、大関は提供された人間を管理していたんだ」「お前さんの役割は何だ?」「俺は人間を運ぶのが仕事だ。 主に漁船を使ってやっているがね……」 昔は覚せい剤などを沖合で取引する『セドリ』とい手法があった。だが、海上警備や港湾警備の強化で現象していると聞いている。「大関はどう関与してるんだ?」「その話を鹿目に持ちかけたのが大関だったんだよ」 大関はクスリ関係の密輸取引で北安共和国と繋がりがあったらしいと公安のファイルにはあった。「もっとも奴の目的は別だったけどな」「別?」「自分のクローンを鹿目に作らせようとしてるんだよ」「権力を待った人間なんてみんな一緒さ。 来世救済を信者に解く癖に自分は死にたくないんだとさ」「笑っちまうよな……」 海老沢はクックックと押し殺したように笑っている。余程面白かったのだろう。身体が震えているようだ。「ところがだ…… その検体に致命的な不具合が見つかったんだよ」 ひと通り笑い終わった海老沢は話を続けた。「人を食いつぶ
海老沢邸 先島は車の中で鼻をぐずぐずさせていた。さあ、海老沢邸に乗り込もうとした途端に、いきなり大きなくしゃみをしてしまったのだ。(風邪でも引いたかな……) 何だか出鼻をくじかれた思いだった。(今日は正面から訪問するか……) 前回に海老沢に会いに来た時には、クーカに狙われて助かった理由が知りたかっただけだった。 だが、色々な事情を探る内にクーカの戦闘に対する考え方が分かって来た。彼女は自分に敵対する意思の無い者には、攻撃をしないのだと確信していた。 それは彼女自身の強さに起因しているのだろう。 クーカの詳細な人物リポートを読むと、クスリで強化された兵士である事がハッキリと書かれている。それまでは噂で伝聞される類いの物だけだった。強さに裏打ちされた自信。彼女が史上最強の暗殺者と呼ばれる所以であろう。(まあ、実際にあのジャンプを見ると納得出来るものが有るよな……) 何度も驚異的な跳躍力を目の当たりにすると、納得できるものがあったのだ。 今回の海老沢への訪問は、大関と鹿目の関係を探るのが目的だ。クーカが二度も来たのには理由があると考えていたのだ。 先島は門を潜り抜け玄関の呼び鈴を鳴らさずに屋敷内に入っていく。すると居間に海老沢が居た。「……少しくらいは礼節を弁えたらどうなんだ?」 海老沢は憮然として言い放った。元々、警察嫌いだし公安は輪をかけて嫌いなのだ。「やあ、聞きたい事があって来たんだ」 そんな問いかけを無視して、先島が張り付けたような笑顔で語り掛けた。「普通は門の所にあるインターホンで用件を言うもんだろう」 先島が門を潜り抜けた辺りから気が付いていたらしい。海老沢の御付きの者たちは下がらせているようだ。揉めるのが嫌だと見える。「大関と鹿目の関係が知りたくてな……」 先島は海老沢の恫喝など気にせずに言い放った。「当人たちに聞けば良いんじゃないのか?」 海老沢としても余り関わり合いになりたくは無い様だ。クーカに関わったばかりに部下を八名ほど失っている。後処理が非常に面倒だったのだ。「どっちも宗教界と財界の大物だ。 木っ端役人なんか相手してくれるわけないだろう?」 先島は少し肩を竦めながら返事をした。「教えるにしても俺には何のメリットもねぇじゃねぇか」 海老沢が吐き捨てる様に言って来た。その木っ端役人は自分の所なら気